そんなことが有りましたか?
アニドウは一昨年の2007年に設立40周年を迎えました。ということは設立して1年ぐらいで入会している僕の活動歴も今年あたりで40年程度でしょうか。アニドウ歴40年......長いような短いような。ま、アッという間でした。
かつての美少年もこんな?オヤジに成り果てましたが、おかげさまで小・中学時代に引きこもりだった僕もなんとか他人と交流できるように育ちました。これもアニメーションの活動のご利益かなと、関係者のみなさまとアニメーションの神様に感謝しているところです。
苔むすほど毎日毎日アニメーションのことばかりあれこれやってきたので、今やちょっとやそっとではビックリすることもなくなりました。2chに「なみきは金田伊功を送る会で儲けている」と書き込みがあると聞いても(もう読まないので噂ですが)「ほほう...」と感心こそすれ、ムキになることもありません。まことに微笑ましい話題と思うばかりです。
ところがビックリ仰天真珠大王!(by大石郁)こんな僕でも、ええ?と思う発言があったのです。
自分のことなので話題にしすぎと思われましょうが、知人のなかに僕のいい訳を期待している人もいるかなと思い、過敏に反応することにしました。
それは、かつてアニドウで仲間として活動に深く関わっていた富沢洋子さんの文章についてです。富沢さんは現在婚姻後の本名である五味洋子を名乗っていますが、ここでは呼び慣れている旧姓富沢さんと書きます。他の人なら誰が何を書こうとも黙っているところですが....。
さて、富沢さんの連載しているアニメスタイルの「アニメーション思い出語り/その66」はなんとありがたくも最新の回で僕のことを中心に一回分を割いてくれています。この連載はアニドウの歴史でもあったんですね。
その全文は上記のページで読んで頂くとして、気になるところにコメントを加えさせてもらいます。
基本的にはアニドウという小さな組織のことはアニメ史上そんなに重要視するものほどのことでもないし、ましてやその会長の事なんてねえ....。客観的に見たら、どうでもいいような些末な話題だと僕は思うのですが。しかし、WEBアニメスタイルというヒット数も多い立派なサイトに広く発表された原稿では少しはお応えしないと失礼というものでしょう。
> 新しい会長を選ぶ段になって強烈に手を挙げたのが並木さんでした。
すみません。覚えがまったくありません。でもちょっとありえないように思います。なぜならば、僕はトップに立つ事に当時も今も全く興味がないからです。「そんな馬鹿な」とお思いでしょうが、そうなのです。僕が興味があるのは、上映会でも出版でも「100%自分の好きなようにやる」ことだけです。この目的のためには他人を踏みにじるようなことも言ったりしますし、金も返さなかったり、非難されるべきことをたくさんしています。だから、その辺を暴露する方が面白いと思います。なにしろ35年前のことですので、そう誤解させる言動をしなかったとも言えないのですけれど。上映会でスタッフや客を怒鳴ったり、本当にイヤな奴なんですけれど、上昇志向は今も昔もないのです。
興味がない上に、あえて会長になる"必要がなかった"ということも言えます。富沢さんもご存知なように、相磯さん、湯川さん、半田さんのもとで、僕は好き放題やっていて、上映会の企画なども自分の出したものはほとんど100%そのまま実行できました。高円寺会館でも、カサ・デ・エスペランサでも、伽藍胴でも、当時の会長職の方々から何か止められたとか言う記憶がないのです。プロデューサー的な運営の実権を欲しがったのは間違いないですが、会長になる以前にそのポジションに成り上がっていました。だから1974年の時点で"会長になりたいと強烈にアタックした"というには事実ではありません。
アニドウは僕のアニメーションの学校で、僕は良き先輩たちに囲まれて幸せでスタッフで十分満足していました。相磯さん、湯川さん、有原さん、近藤さん、早川さん、福富さんたちにアニメと酒を教わりました。
だから、先輩を差し置いてのし上がって行く必要はなかったんです。僕の世代が代表としてやって行かなくてはいけない状況になったのは、ひとえに先輩たちが居なくなってしまったからでした。
> でも私には並木さんのその、会長になりたいなりたいという欲望あらわな態度が目に余るものに見えました。小学校のクラス委員の選挙の時などによくこういう、クラスのてっぺんに立ちたいだけの人がいたものですから。
「欲望あらわな」と言えば、当時僕たちは世界のアニメーションを見ることには欲望あらわでしたねえ。あの熱気が懐かしいです。
僕は小学校4年の頃から登校拒否児童(不登校)でした。ほとんど学校に行っていないのでクラス委員の選挙というものを知らないのです。だから、クラスのてっぺんに立ちたいという気持ちはわかりません。小学生から現在まで、基本的に他人と接するのが僕には恐怖なんですよ。大体、人の上に立つなどと言う恐ろしい体験をなぜ自分から求めるのか理解できません。てっぺんに一度でも立てばと誰にでもわかると思います。アニドウのような小さなお山でも。それにしても「だけ」とは見事な一言です。自分のことが揶揄されていても感服します。
> アニ同にはもっと誰にでも公平に接することのできる、理性的な人の方が会長という役にふさわしいのではないかと私には思われました。会長は自分のためにやるのではなく、他の会員みんなのために動く人であってほしかったのです。従来の会長たちのように。
確かに僕は不公平な人間です。理性的でもありません。他に候補者がいれば良かったですね。
しかし、それは誰なんでしょうか? 石川英明さん?石之博和氏?北島信幸?みなそんな意思はなかったと思いますが.....。
「会長」とかいうといかにもしっかりした組織と思う人も今の読者にはいるでしょう。そのへんのアニドウの実態も説明しないと不親切ですね。
会員はたぶん名簿上70~100名前後。上映会に参加数する人は40~80人。会費が400円ほど。世話人会という名の幹部4~8人が最高意思決定機関でした。副会長などはいません。もちろん会長他みな無給のボランティア。ワラ半紙の会報の費用も苦しい会計でしたね。時間的に余裕のあるテレビのアニメーターと少しの学生が喫茶店に集まって時々映画会をやる、そういうしょぼい同好会がアニ同でした。対外的には全く無名です。だから、「アニドウです」といって何か便利になることもなく、ましてや「会長だ!」と言うだけで仕事が来たり、みんながへへーっと這いつくばることもありません。
会長というのは、まあ便利屋みたいなもんですね。現在のオープロの社長みたいに。今考えると、僕は先代半田会長の人の良いのにつけ込んでかなり好き勝手に相談もせずに上映会の企画を決めたり、知らせを出したりしていました。こうしたことは責められてしかるべきでしょう。
> だから冗談まじりに古代の陶片追放制度のように会長にさせたくない人を上げましょうよと提案してみたりもしたのですが、並木さんの猛烈なオレがオレがアピールに太刀打ちできる人がいようはずもなく、1974年7月の世話人会で第4代会長は並木さんに決まりました。
そんな提案がありましたか!?それでは今からでも「小松沢くんの追放に1票」。上映会は俺にやらせろ、とか、会報の編集は俺がやる!とか、会場は俺が決める、とかは度々アピールした覚えはあります.......でも、心から会長職になりたいと思ったことはありませんよ。
会長になると、いったい何が得られたのでしょう?何の特典もないですよね、資金はないし、事務所もない、車もないし、名誉もないですね....どうも目的がわかりませんね。「アニドウ会長」という立場で、利便を得たことはこれまで35年間何もありません。
> この時点でまさかそれから今日までの長い間、並木さんが会長の座を手離さず、ついには有限会社まで作って私物化してしまうとは、誰も思ってもみなかったことでしょう。税金対策等と理由づけはいくらもできますが、あくまでも私の目には私物化としか映りません。
今日までの長い間(35年以上これからも)会長の座を手離さないことは、僕は確信していました。だって、引き受けてくれる後輩がいないのですから(育てなかった?)。
すでに1974年の時点でアニドウのそれまでの活動の性質は変化していました。アニメーター同士の連帯を深める緩いユニオンを求めた要素は消えて、上映会を頻繁に開く事で研究的な活動に力点が移りました。
面倒見の良い大人のアニメーターが集った古き良きアニ同はその時点で使命を終えて変容していたと僕は思います。
僕はその後始末を今までのろのろとやっているに過ぎません。新生アニドウとして目指したのは国際交流とちゃんとした出版です。"会社"を作ったのは税金対策ということではなく、大きな出版物を作るために印刷屋さん・取次さんなど他の会社と取引をするためです。富沢さんも自分で出版事業をしようとすればそういう方向に行くはずです。同人誌とは動く金がまるで違いますから。
1974年に野望叶って後、自分に課したことはひとつだけ、僕の代でアニドウはつぶさない、ということです。それも看板だけは掲げておくぞ程度の意味ですが。それから35年細々と活動を続け、2007年に「40周年記念のパーティ」を開催しました(富沢さんにもご出席頂きました)。先輩たちにお会いして、もうがんばらなくてもいいかな、とちょっと思いました。湯川氏や片野さん、相磯さんたちは「なみきくんじゃなければつぶれていたね」と言ってくれました(もちろんお世辞です)。富沢さんに言わせれば「この程度の活動(私物化?)じゃあなくなった方が良かった」と思われるかもしれません。35年間でいくつかの出版物と看板だけという実績ですので誇れるものは少ないのですが、他の方が会長ならアニドウも立派になったかと言うと(歴史のIFですが)僕は否定的です。
> 現在ではアニドウは並木さんが作ったものと思い込んでいる若い人も多いかと思いますが、実際には並木さんはこの連載でも66回目にしてようやく会長として登場してきたに過ぎないのです。これを読まれた方はそのことを、そして並木さん以前の、会員のための会長だった方々のことを覚えておいてほしいと思います。
いや、現在ではアニドウそのものを知らない若い人が多いかと思います。66回まで全てがアニドウの歴史だったとは思いませんでした。いっそ、僕の出番は頭皮に刻んである666回でもいいです。
2007年の「アニドウの歩み40年」という冊子で歴代の会長写真を掲載するなど、先輩に敬意を払う事は忘れていないつもりです。先輩も大事ですが、後輩のことも考えてあげてほしいです。今は二人の、いや独りかもしれないアニドウですが、富沢さんがアニドウを離れて約30年の間、こんな僕でも支えてくれた多くの人々がいます。たとえば、武鑓さん、山田さん、日野さん等のアシスタント嬢、角川くん、金子くん、石橋くん、石井くんなどのアニドレイ軍団、北島、石之、鈴木(周)さんたちアニドウの仲間、ついでに友永、片山氏など友人一同....。富沢さん以後のこうしたスタッフ、王位を簒奪した会長に仕えてアニドウを支えてきた人々のことを今からでも知ってほしいと思います。
> 何と言っても私はアニ同そのものを深く愛していましたから。
その愛すべきアニ同は残念ながら今やひとかけらもないと言うほかありません。なにしろ僕が"私物化"して35年です。先代とは違う独裁的な指導の下での35年に人民は希望を失って去って行きました。今のアニドウとは僕とスタッフS嬢の二人を意味します。私物化も何も実際「僕」しかいないんです。
平会員が一人も居ないのに「会長」と言いましてもむなしいですね。しかも、こうなることは1974年の時点で僕には判っていたことです。衰退していくことは自明でした。それなのに「会長になりたい」なんてアピールするとは、本当ならまさに気狂いですね。
僕の性格を誤解しているのではないかという疑問は富沢さんがミクシィ内に書かれた日記にも気になる所がありました。先日の「金田伊功を送る会」についてです。
> なみきさんの司会は相変わらずぐだぐだで、言わなくともいいことを口走ったりして、もっとイベント進行慣れした人材に任せればいいのにと思ったけれど、こんな大舞台を手放すひとではなし、仕方ありませんね。
そんな、と思ってビデオを見直したら司会はぐだぐだでした。その通りでお詫びするほかありません。でも、他の人に任せてという意見には賛成できません。代わりがいないのですよ。当日まで進行が大きく変わるし、当日にも変わりますしね。変えているのは僕ですが、他にもいろんな要素が混じるので、これを事前に他人が把握して進行させるのは不可能でした。
それで最初から司会は僕がやると決めてやったんですが、まあ、やむをえない選択だったと構成者としは判断しています。
お言葉ですが"こんな大舞台を手放すひと"だと自分では思っています。これまでにも「近藤喜文の世界(追悼)」「もりやすじの世界」など大きな催しには慣れた人材に司会を頼んでいます。「40周年」も、片山雅博・はらひろしコンビに頼んだことはお忘れでしょうか。富沢さんが去ってから30年近い最近のアニドウの歴史にも注目してくれると判ることです。
嘘つけと言われそうですが僕はスポットライトを浴びるのは嫌いです。僕の"舞台"はその舞台ではなくもう少し大きいものでして、「金田伊功を送る会」でいえば、命日から今日までの準備と後始末の約3ヶ月の毎日が"舞台"ですね。会場選定・打ち合わせ、構成、ビデオ編集、カンパなど資金面での手当や、冊子とTシャツをスタジオ雄さんに丸投げしてお願いする等々、とにかくあらゆることを決定する立場、こういう裏方で汗をかくポジション(独裁的ですが)は手放しません。自分が発意して責任を感じていることですし、どういう会にするかという想定が材料を持っていることで僕にしかイメージできないまま進行しなくてはなりうませんでした。結果的に良い会だったと思われる方が多くてうれしく思いますが、もっとぼろぼろの会だったらどうなっていたか、考えるだに恐ろしい賭けでした。金銭的にも保証がないものでしたし。
こちらの方の一般には目に見えない"舞台"で権力欲を丸出しにして醜いというのなら、その批判は頷けます。
「送る会」を企画・主宰した僕の動機をどう捉えるか、「友人を悼む気持ちから」か「巨大イベントをしきる好機と喜んで」かは断じるその人の品性の問題として、ご自分にかえってくる評価になるのではないでしょうか。
それで思いついたのですが、何か大仕事を引き受ける時にいつも、「僕はアヴェリーの"むっつりワン君の早業"(Northwest Hounded Police 1946) だなあ」と感じています。
つまり「希望者は1歩前へ!」と言われると居並ぶ全員が(ドルーピーを残して)1歩後ろへ下がるあの場面です。結果、弱々しいドルーピーが選抜される、というギャグ、あれが僕のいつもおかれた状況ではないでかと思います。これまでの大きな転機ではそんなことばかりでした。
たとえば「三国志百態と人形展の開催」「杉本フィルムコレクション」「オープロダクション」「金田伊功を送る会」などなど。地方在住で事情を知らない富沢さんに言わせれば、たぶんオレがオレがで名乗りを挙げたと一刀両断されましょうが、これが僕には「むっつりワン君の早業」だったんですねえ。
なにも「心底いやいや引き受けていた」と嘆いているわけでもありません。どれもたまたま近い位置にいて、周囲の了解を支えに、成算がないまま無謀に引き受けたというのが実情なんです。
おっしゃる通り僕はトップの器ではなく、三番手位の、会社で言えば制作部長みたいなポジションが相当の人間です。トップにもっと人望がある人、アニドウなら相磯さん、オープロなら村田氏、コレクションなら杉本さん....そういう人の下で好きなことをやるのが理想ですね。でも、みなさん忙しくなったり亡くなってしまったので。誰かがやらないといけない時、近い所にいてお世話になった恩義を感じていれば引き継ぐことに逃げはしたくない、そういう気持ちです。これからも友達の遺産や資料があって「自然にこちらへ流れて来たら」ぜひ"私物化"したいと思っています。
今回の富沢さんの僕への評価を肩書き風にまとめれば、四代目会長改め、今後
「猛烈なオレがオレがアピールの欲望あらわな態度が目に余る不公平に人に接する非理性的で自分のためにやるばかりで私物化し大舞台を手放さないてっぺんに立ちたいだけのふさわしくない会長」とでも名乗るべきでしょうか。
結局、今回の「その66」はいつも知性的な文章の冴える富沢さんにしてはおかしなものを感じるのです。断罪する筆致は見事ですが、富沢さんがアニドウならぬアニ同を愛するあまり間違った思い込みをしていると感じるのは僕の旧悪が暴かれているからだけではないでしょう。いきなり非難を浴びせられ、ただびっくりする内容でしたが、これは自分の今後を考える良い機会とも思ったのであれこれ感想を書きました。
もうアニドウや僕のことはけっこうですので、今後は他の話題でご健筆をふるっていただきたいと思うばかりです。
しばらくパソコン環境の無い場所にいましたので、コメントが遅くなり失礼します。
長文のお答え、痛み入りますが、「友人まで」に限定したmixi日記を公の場に持ち出すのはマナー違反ではないでしょうか。
一部の抜粋では要らぬ誤解も生じましょうし、他のマイミクさんの日記に私が「並木さんと友永さんのぐだぐだ会話は面白かったです」と好意的にコメントしているのもお読みになっていると思いますが。
私は「送る会」を大変有り難い機会と感謝しています。
が、私の日記にも一言も無い、思ったことすら無い「巨大イベントをしきる好機と喜んで」企画・主宰という言葉がご自身の頭に浮かぶ時点でその品性の有無は自ずと明らかなのではないでしょうか。
アヴェリーを引用しての言い訳もお見事です。
しかし「杉本フィルムコレクション」まで上げたのは上手の手から何とやらでしょう。
本来の引き受け手が一歩下がって自然にそちらへ流れたとでも仰るのでしょうか。
私が去って後のアニドウについても注目をとありますが、私が自らの意志でアニドウを去った訳ではないことはもうお忘れでしょうか。
並木さんにとってはむなしいものだったかも知れませんが、私にはかけがえのないものであり、並木さんあっての繁栄の日々も共に過ごした者として重々承知しています。
今後共、タイトル通りの思い出を書き続ける所存です。
楽しく読める「思い出」を期待しています。